「その叫びによって」

マルコによる福音書 15章33~41節
詩編 139編1~12節

 

 3月11日とくに津波襲来にあって、たくさんの叫びと思いが響いたはずです。その多くは“なぜ”という問いに連なるものだったでしょう。しかし、その問いは響いても応えられることなく、私たちは戸惑いたじろいで立ちつくすばかりです。

 “…死は謎に満ちて定義しがたい。…定義することができないのに、その到来だけは決まっているように思える。何となれば、すべての人間が死ぬべきものだからである。…死を定義づけることを知っている者は、その主人となることができるであろう。…”と述べるドイツの神学者E.ユンゲルの言葉に接しました。私たちは地震に、津波に、死に向かって“なぜ”と問いますが、その答は与えられないのです。

 3月11日はレント3日目でした。私たちは、私たちを愛されるがゆえにこの死を引き受けられた主イエスを知っています。主は神の子だから、死を恐れなかったのでしょうか。そうではありません。主もまた光の見えない戸惑いたじろぎの中から34「なぜわたしをお見捨てになったのですか」との叫びを発せられたのです。

 こうして死に降られた主は復活を遂げ、今も生きて伴っておられるとの言葉を私たちは聞いています。光の見えない戸惑いたじろぎを潜られた主ご自身が、希望の光となられたのです。この光を仰ぎつつ、今に向かい合いたいと思います。

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