「耕され実り待つ土地」

ルカによる福音書 8章4~8節
イザヤ書 28章23~29節

 

 地震、津波からの立ち上がりも長い道程となりましょうが、原発事故による半減期30年(セシウム137)といった放射能汚染の課題が影を落としています。自らを過信して力の用い方を誤った人間のわざが、課題をいっそう大きく困難なものにしています。

 よく土や種、その成長と実りを譬として語られた主イエスは、今日の箇所で四つの土地に落ちた種の話をされています。旧約外典のエズラ記(ラテン語)によく似た話がありますが、ここでは人が種に譬えられ「この世に蒔かれた人々がすべて救われるわけではない」(同8:41)と語られるのに対し、主イエスは 5「種」とは11「神の言葉」であって、それを受け止める人の中に四つの土地のあり様があると語られます(11節~)。神の言葉は 8「良い土地」に落ちるならば必ずや 8「生え出て、百倍の実を結」ぶのだ、と主は言われています。

 私の中に四つの土地があります。農夫は 5「道端」や 6「石地」や 6「茨」の土地を 8「良い土地」目指して苦闘して耕すのです。併せて開いた預言書に24「耕すものは一日中耕すだけだろうか」、時が来れば喜びの収穫に向けて種蒔きが始まると告げられています。苦闘の続く今、これらの言葉に聞きたいと思うのです。

 ただ、よく耕された 8「良い土地」も人間のわざによって汚染させられた今日のあり様を主はどうご覧になって、どう語られるのだろうか、そんなことを考えます。

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