「刈り入れの時」

ヨハネによる福音書 4章35~38節
詩編 126編1~6節

 

 5「涙と共に種を蒔く」、この言葉にはいくつかの思いが重ねられていましょう。まず種蒔きとはつらい仕事であること、かつて 1「捕われ人」とされていた先祖たちがバビロンで耐え忍んだこと、そして今の自分たちもまた課題にあって苦闘していることです。でも 5「涙」の種蒔きはやがて 5「喜びの歌」の収穫に至り、労苦は主の約束にあって祝福に導かれると歌われています。

 種は自然と収穫に至ると思うかもしれないが(35節)、そこには主のみ業そして祝福があると主イエスは指し示されました。ユダヤからガリラヤへの途中のサマリアで、思いがけず35「色づいて刈り入れを待っている」実りに出会ったのです。それは一人の女性の直截な神の求めでした(1節~)。

 37「一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる」、すなわち誰かの労苦の実りに別の者が与ることもある、と言われています。それは不公平なことなのでしょうか。主イエスの労苦の実りを弟子たちは刈り取り(38節)、弟子たちの労苦の実りを続く信仰者たちは収穫しました。私たちも先人の労苦の実りに与っています。36「こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶ」ことができる、だからあなたがたも次の世代の希望と喜びのため、今耕し種をまき続けなさいと語られています。

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