「ヨブからの教訓」

ヨブ記 42章1~6節
ローマの信徒への手紙 11章36節

 

 説教  鈴木 眞 牧師 (明石ベテル教会、明石愛老園伝道所)

 

 明治期、兵庫県北東部に“丹波ヨブ”が実在した。らい病を患って、仕事を失い、妻や家族から捨てられ人里離れた所で、最後までキリストの信仰を全うした。

 旧約のヨブ(JB)は物心両面豊かで、信仰の篤い人物と評されていた。天上の会議で、彼の信仰生活に大試練を与えて真偽を明らかにすることになった。それで、彼はある日突然家族や財産を失い、重病になった。然し彼は「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」(ヨブ1:21)、「私達は神から幸福を頂いたのだから、不幸も頂こうではないか」(同2:10)と答えた。友人らは彼の悲報を耳にして見舞ったものの、結局彼の罪・過ちが災難を招いたと糾弾した。一方、ヨブは自分に何ら落度・罪・過ちがない、無実だと反論し、互いに是否を争った。最後に主の臨在があって「私(ヨブ)は塵と灰の上に伏し自分を退け、悔い改めます」(ヨブ42:6)と、主の摂理・計画への無知や高ぶりを悔い改め、主神や友人と和解した。晩年ヨブは物心が二倍に祝されたと結ぶ。

 筆者は16年前阪神淡路大震災を経験した。そして今回大震災が東日本一円を襲った。国家的ヨブの大試練だ。幾つかの教訓は

①悔い改め;シロアムの塔の倒壊で18名が犠牲なったのは、私どもの悔い改めへの警告。(ルカ13:4~5) 今回自然災害が人災になった。科学万能という驕り・高ぶり(消費の美徳。原子力の過信、遺伝子操作等生命倫理)を悔い改め、神人の前に謙遜であれ。

②失って始めて知る;人の命は、他の命の犠牲の上に立っている。主イエスが十字架の犠牲になられて、私どもに新しい命(救い)が与えられた。外国人労働、化石燃料・資源を消費し、又魚・家畜や野菜・果物の命の犠牲(食料)の上に、私どもの命が築き上げられている。

③二倍の祝福を;大災害・困難や試練が転じて、やがて恵みと祝福に変えられることを。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)と祈り続けよう。原爆体験、第五福竜丸の被爆、原発の体験をしたからこそ、世界中の人々に真の平和を声高らかに主張できる。困難や試練(例:愛老園伝道所;捕囚[閉鎖に近い状態]が丸2年)が大きければ大きいほど、それを乗り越えたら、更に大きな恵みや祝福になることを確信する。アァメン。

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