子どもの日・花の日合同礼拝 「たとい、そうでなくとも」

ダニエル書 3章1~18節

 

 12「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ」、ずいぶん変わった名前ですが、これは彼らを捕囚とした新バビロニア帝国が自国風に改名させたものです(1:6)。名前は奪われた彼らでしたが、真実なる神のみに仕える信仰を携えて歩みました。

 三人はネブカドネツァル王の建てた金の像を拝むことを拒否し、燃え盛る炉に投げ込まれました。が神に守られた三人は火の中を自由に歩き回ってなんの害も受けず、王は真の神の権威を認めざるを得ませんでした(19~30節)。

 でも、いつもこのように窮地を脱することができるでしょうか。三人は18「そうでなくとも」、すなわち願いどおりにならなくとも、主のみに従いますと言明しました。ヘブライ11:32~は彼ら三人をはじめ信仰の勝利を証しした者も信仰のゆえに苦しみ犠牲を払った者も、共に神に認められた信仰の証人であり、ついには大いなる祝福にあずかるのだと語っています。

 いついかなる時にも真実をもって私たちに向き合ってくださる主なる神が、順境のときも逆境のときも私たちの支えであり力です。

コメントは受け付けていません。