「畑に宝が隠されている」

マタイによる福音書 13章44~46節
申命記 32章7~12節

 

 アメリカのエッセイスト、R.フルガムは著書 『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』 で、“人間、どう生きるか、どのようにふるまい、どんな気持ちで日々送ればいいか、本当に知っていなくてはならないことを、わたしは全部残らず幼稚園で教わった。人生の知恵は大学院という山のてっぺんにあるのではなく、日曜学校の砂場に埋まっていた。” と書きました。

 先週の東北教区総会で、61年の歴史を数えてきた鏡石伝道所の廃止が決定され、厳粛な思いにさせられました。が今年その跡地には認定子ども園の新園舎が完成し、子どもたちの讃美歌が響いています。子どもたちが園の生活の中から大切な44「宝」を掘り出し成長を遂げるならば、伝道所の歴史は決して無にはならないでしょう。

 44「畑に…隠され」た44「宝」とは私たちも歩む日常の中にも見いだし得る福音、神の祝福を意味しており、それを見いだすことは大きな喜びであり価値であることが告げられています。

 でも本当は、福音において見いだされているのは私たち自身なのです。10「主は…彼を見いだし、…これを囲い、いたわり、御自分のひとみのように守られた」と告げられている通りです。小さく破れある私が大いなる方に見い出され宝とされている(申7:6~)、このことこそ驚きであり喜びであり大いなる価値であると告げられています。

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