「油の用意を」

マタイによる福音書 25章1~13節
列王記上 17章8~16節

 

 今日開いた箇所の最後に13「だから、目を覚ましていなさい」と告げられていますが、譬に現れる 1「十人のおとめ」たちは 5「皆…眠り込んで」しまっています。この背景には、いつ主イエスが再臨されるか13「その日、その時を知らない」信仰者はどのように備えるべきか、との問題意識がありましょう。私たちは始終緊張して待つことはできません。居眠りは許容されています。

 当時の10「婚宴」は夜も含め、数日続いたようです。ですから欠かすことができないのは闇を照らす 1「ともし火」でした。発せられる光は不安を打ち消し、希望を指し示してくれます。 1「十人のおとめ」とも 1「ともし火」は用意していました。が、 3「油の用意」の有無が明暗を分けたのでした。

 1「ともし火」とは、歩み行く道を照らし出すみ言葉を指していましょう(詩119:105)。信仰者はみ言葉に励まされ導かれ進み行きます。では 3「油の用意」とは何でしょうか。

 Ⅰヨハネ2:27は「あなたがたの内には、御子から注がれた油があります…。この油が万事について教えます。…だから…御子の内にとどまりなさい。」と、油とは聖霊のことだと示唆しています。

 預言者エリヤ、やもめと一人息子は危機的な状況下、不思議に尽きることのない16「壺の粉…瓶の油」によって養われました。 1「ともし火」も 3「油の用意」を欠いては、やがて消えてしまいます。私たちは自力で油を補給することはできません。それをなし得る方との日々の交わりにあって、闇を照らし、道を進み行くことができるのです。

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