東日本大震災8周年を覚えての礼拝 「主に立ち帰ろう」

哀歌 3章10~40節
使徒言行録 14章14~17節

 

 東日本大震災発生から8年を数える礼拝をまもっています。 “発生” と加えるのは、今も震災の課題の中を歩んでいる人がいるからです。震災の体験と思いは個々人まちまちです。そうした私たちが集まって記念の礼拝をもつ意味を、改めて考えてみました。様々な違いがあるからこそ主なる神の前に集まり、静まり、それぞれの出来事の深淵を振り返ると共にそれを分かち合う、そこに意味があるのではないでしょうか。

 今日共にした哀歌は、B.C.6世紀亡国とバビロン捕囚の苦難の中で編まれた歌です。今日開いた箇所で、詩人は呻吟しつつもその苦難もまた主から与えられたものであることを見つめ、その意味を問うています(1節)。すべてを37「あらしめ」得るのは、主だけであるからです(37~38節)。その原点に立ち18「ただ主を待ち望もう」40「主に立ち帰ろう」と思い定めたとき、33「人の子らを苦しめ悩ますことがあっても、それが御心なのではな」く、22「慈しみ」22「憐れみ」をもって日々新たなことを起こしてくださる主の23「真実」を見い出したと詩人は歌っています。

 私たちも震災と向き合う中で、それぞれに自らの小ささと、その小さな者をみ旨をもって養い新たな業をもって導かれる主に出会ってきたのではないでしょうか。25「主に望みをおき尋ね求め」つつ、これからもそれぞれの道を歩み行きたく願います。

コメントは受け付けていません。