「この子どもを」

ルカによる福音書 9章46~48節
イザヤ書 1章15~20節

 

 もと社会科教師の久世そらち牧師(札幌北部教会)は、47「一人の子供」を町の孤児だったとしてこの箇所を物語っています(「福音と世界」1999年1月号)。聖書の時代、戦災や捨てられたりして孤児となる子どもは珍しくありませんでした(エゼキエル16:5、イザヤ1:17等)。

 そうだとすると、48「この子供」はきれいではなかったでしょう。お行儀もよくなかったでしょう。47節には、走り回っている子どもを主イエスがひっつかまえて、との響きがあります。

 そして主イエスは48「この子供を受け入れる者は…」と言われます。他の子どもではなくこの子ども、皆に無視され、疎んじられ、追いやられていたこの子どもを受け入れる者がキリストを受け入れる者であり、神を受け入れる者なのだと言われるのです。

 このとき弟子たちは46「誰がいちばん偉いかという議論」をしていました。続く49節~で、弟子たちは縄張り争いに情熱を燃やしています。いずれも頑なな大人の姿です。

 けんかをしても子どもは仲直りができます。イザヤ書冒頭で主は民の罪と悪を繰り返し指摘しつつも、18「論じ合おうではないか、…お前たちの罪が緋のようでも、雪のように白くなることができる」と赦しと転換の可能性を告げられました。主は忍耐をもってなお私たちに語りかけておられます。

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