「強盗の巣にした」

ルカによる福音書 19章45~48節
イザヤ書 56章3~7節

 

 主イエスの時代のエルサレム神殿は中央に聖所が建ち、それを取り囲むように庭が区切られていました(図参照)。異邦人は “異邦人の庭” まで、イスラエル人の婦人は “婦人の庭” まで、イスラエル人の男性は “イスラエル人の庭” まで、と立ち入りが制限されていました。 “祭司の庭” と聖所には祭司しか、さらに奥の至聖所には大祭司が年に一度しか入ることができませんでした。

 45「境内」とは “異邦人の庭” のことです。そこで賽銭用貨幣や献げ物の動物を扱う者たちが45「商売をしていた」のを主イエスは追い出し、ここは46「祈りの家」だと宣言されたのでした。主イエスは何に対して怒られたのでしょう。

 46「祈りの家」との表現は、今日併せ開いたイザヤ56:7にあります。バビロン捕囚から帰還を果たした民がやっとエルサレム神殿を再建した頃のこの預言において、以前は礼拝を許されなかった 3「異邦人」や 3「宦官」もやがてこの場に招かれることが示されました。 4・6「安息日を…守り…わたしの契約を…守る」者は誰でも大いなる祝福に結ばれる、と主は告げておられます。

 多くの者は、至聖所が最も尊いと考えていたかもしれません。が主イエスにとってはこの“異邦人の庭”が、誰もが神と向き合い得る最も聖なる庭、ないがしろにしてはならない場所だったのです。

 4・6「安息日を…守り…わたしの契約を…守る」とは、私たちにとって礼拝を大切にし 1「正義」と 1「恵みの業」に生きることです。ですから教会に集う主日も、生活に歩む週日も共に大切です。それぞれにおいて主のみ旨を訊ね生きる者は誰でも、 7「わたしの…喜びの祝いに連なることを許す」と告げられています。

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