新年礼拝「笑みつつここで歩みなさい」

創世記 26章1~25節
ヨハネによる福音書 17章15~19節

 

 1「イサク」とは、 “彼は笑う” との意味です(21:6)。父アブラハムが、主なる神は大いなる慈しみをもって自分たちの愚かな笑いを(17:17、18:12)を朗らかな笑いへと変えてくださったとこう名づけたのでした。今日の26章には、そのイサクが主人公の物語が記されています。

 彼が住むパレスチナ地方に 1「飢饉」が起こりました。この危機に彼は父がしたように(12:10~)エジプトに避難しようと考えましたが、主はそれを許されませんでした。 3「あなたがこの土地に寄留するならば、わたしはあなたと共にいて…祝福」するとの主の言葉を信じ、イサクは12「その土地に…種を蒔」いたとあります。飢饉に種を蒔く、この無駄と思える業を主は祝して収穫は百倍にもなったのでした。

 すると今度はそれが14「ねた」みの原因となり、周囲のペリシテ人は迫害を加えました。がイサクは争わず、土地を移って繰り返し18・21・22「井戸」を掘ったのです。雨が少ないパレスチナで井戸を掘ることは大変なことですが、イサクと僕たちはこうした労苦を重ねたのでした。

 ここの 1「飢饉」・諍いは、今日の世界・社会にも山積する諸課題を意味していましょう。でも主はそこに留まることを指し示され、イサクは命を守るために12「種を蒔」き18・21・22「井戸」を掘り続けたのです。主はそうした労苦を祝し、ついには 4「地上の諸国民…すべて」の祝福に向けて用いられると約束されました。

 十字架の前の晩に主イエスは弟子たちについて、願いはどこか素晴らしいところへ彼らを連れ去ることではなく、課題ある世に真理によって聖別して遣わすことだと主なる神に祈られました(15~19節)。私たちも主のご計画の内に、それぞれの生へと派遣されています。笑みつつ与えられた場での働きに向かい行く者とされたく願います。

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