「新たに生まれることができる」

ヨハネによる福音書 3章1~15節
エゼキエル書 37章1~10節

 

 この 1「ニコデモ」は 1「ユダヤ人たちの議員」で10「イスラエルの教師」とありますから、教養豊かで地位や尊敬も得ていた老人だったと推察します。その彼が主イエスを訪ね、あなたは 2「神のもとから来られた教師」ですと尊敬と信頼を言い表したのです。もっとも 2「夜」訪れたというところに、 1「ファリサイ派」としての体面を気遣ったことがわかります。

 彼を迎えての主イエスの言葉、 3「はっきり言っておく」の原文は“アーメン、アーメン、私はあなたに言う”です。また“聖書の中の聖書”とも呼ばれる16節の言葉が彼に向けて告げられている点からも、主イエスが喜んで彼を迎えていることがわかります。

 このことを踏まえ、あえて否定形で語られている主イエスの言葉を肯定的に受けとめ直すとこうなりましょう。“人は年を重ねても、新たに生まれて神の国の祝福に与ることができる”(3節)。“驚くには及ばない、神のもとから風のように自由に吹き来たる霊に生かされることだ”(7・8節)。“あなたが見たこと知ったことをそのまま受けとめ、生きなさい”(11節)。“真理の力を信じて光に歩みなさい”(21節)。

 このときのニコデモの応答は記されていません。が、その後ファリサイ派らの集まりで主イエスの弁護を試み(7:50~)、十字架に際して主イエスの遺体を受け取り埋葬したのでした(19:39~)。彼はもはや恐れることなく真理に従い、光に歩む者とされたのです。

 併せ開いたエゼキエル37章は、神の霊こそが私たちを生かし希望で満たすことを印象的な仕方で告げています。吹き来たる神の息吹に生かされ導かれて、日々を歩みましょう。

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