「止められた葬列」

ルカによる福音書 7章11~17節
ルツ記 1章19~22節

 

 ガリラヤの町11「ナイン」で主イエスと一行は、12「町の門」から外の墓へ向かう葬列とすれ違いました。このとき12「ある母親」は、ただ一人の家族であった12「一人息子」を亡くしたのでした。その痛み悲しみを我が事のように感じとられた主イエスは(13節)、13「もう泣かなくともよい」との言葉と共に葬列を止められたのです。

 虚無へと向かう葬列を人は止めることはできません。が、これをなし得る方が私たちと共におられ、み言葉を与え、み業を振われるのです。主イエスは一人息子を死から起こし、葬列は喜びへそして新たな生活へと方向転換したのでした。

 ルツ記は夫と息子を亡くしたナオミとこれに従った異邦人の嫁ルツが、22「モアブ」から19「ベツレヘム」に帰ってきたことに始まる物語です。わが身の不幸を嘆くナオミの言葉(20~21節)は、先の12「ある母親」の思いに重なりましょう。さてこの1章には2122「帰」る(シューヴ)という語が11回も現れます。“向き直る”“立ち帰る”とも訳せる言葉です。全てを失った二人は、このとき主なる神のみ手の内に立ち帰ったのでした。この後ナオミも異邦人のルツも、わが思いを超えゆく生ける神の御手そして連なる人々に出会い失意から祝福へと導かれていくのです。

 主イエスが宣べられた「悔い改め」(マルコ1:15、ルカ5:32等)も、虚無から神へ、失意から祝福へと方向転換することです。それを可能とする神の言葉とみ業はあなたのそばにある、と告げられています。

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