「聞き、行う人」

ルカによる福音書 6章16~49節
サムエル記下 23章1~7節

 

 “平地の説教”(6:20~49)も平行箇所の“山上の説教”(マタイ5:1~7:29)も、主の47「言葉を聞き…行う」ことの大切さで締めくくられています。

 48「洪水」とは、時に巡り来る試練を指していましょう。震災研修に来た高校生から“被災経験をたくさん聞いて、苦しく泣きそうなこの思いをどうしたらいいでしょう”と訊ねられ、私自身たじろぎながらも“痛く厳しい出来事の中にも何かを意味を見いだす時、思いは変えられていくのだと思うよ”と答えました。試練のただ中にも立ち現れる“意味”は自ら掴めるものではなく、然るべき時に与えられるのだと思います。試練にも神の栄光を見いだし(ヨハネ9:1~)、無から有を呼び出し(ローマ4:17)、死に救いを顕わされた(24:46~47)主なる神を私たちは仰ぎ、試練にも復活の光が与えられることを信じ求めるのです。十字架と復活という深い48「土台」に根ざした47「言葉」に聞き、生きなさいと教えられています。

 イスラエル史上最も偉大な王とされる 1「ダビデ」の最後の言葉を記すに際し聖書は、もともと羊飼い 1「エッサイの子」であった彼が主に 1「高く上げられ」 1「油注がれた」のだとその生涯を総括します。そしてダビデ自身も 5「神と共にあって私の家は確かに立つ」のであり、自らの愚かさと罪を超えて(サムエル下11:1~12:23) 4「光」 5「救い」 5「喜び」は神から来ると告白したのでした。 2「主の言葉」に生きる者の幸いと強さを思います。

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