平和主日礼拝 「あなたの裁きを求めます」

ルカによる福音書 6章37~38節
イザヤ書 26章7~12節

 ガリラヤ宣教の途中、多くの聴衆に語られた “平地の説教” (17節)の一部です。ここで主イエスは37「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。」という形で、37「罪人だと決めるな」37「赦しなさい」38「与えなさい」と教えられました。この言葉は、人に優しく寛大にせよとの教えに留まりません。むしろ人は破れを抱え、罪人として裁かれ、赦され、与えられねばならない存在であることが告げられていましょう(39~42節)。

 誰が世と私たちを正しく裁き赦しへと導き得るのか、それは全てをご存じであり完成へと導かれる主なる神によってです。併せ開いたイザヤ26:7~には、主は混乱・混沌を超えて12「すべての業を成し遂げ」12「平和」へと導かれるのであり、その 9「裁きが地に行われるとき、世界に住む人々は正しさを学ぶ」と歌われています。 7「神に従う者の行く道は平ら」とは、その主に信頼する者は出会う困難をも乗り越え平和を待ち望み得ることを指していましょう。

 私たちは別のことと捉えがちですが、主のもとで裁きと赦しはつながっています。そのことは主ご自身が人となり、罪の裁きを十字架で受けとめられて裁きと赦しが一つにされたことに示されています。あなたがたはこのように37「赦され」豊かに38「与えられ」ている、だから隣人をも37「赦し」38「与えなさい」と告げられています。

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