「福音の種蒔き」

ルカによる福音書 4章42~44節
イザヤ書 28章23~29節

 

 新島襄ゆかりのカタルパを教会前庭に植樹してより3年、40cmほどだった苗木は180cm位にまで成長しました。その後も同志社関係者の尽力によって福島の牧人会本部・福岡の警固教会などに苗木が植えられ、それぞれ元気に成長しているようです。

 宣教の業に入られた主イエスは、31「カファルナウム」の町を拠点としてガリラヤ伝道を始められました。悪霊や病気など様々な力に囚われ苦しむ41「一人一人に手を置き」これを癒される主イエスの評判は広まり、多くの者たちが押し寄せるようになったのです。ある42「朝」、主イエスは42「人里離れた所」で祈っておられたとあります(マルコ1:35)。主イエスとても悩める一人一人と向き合い癒すことは力を注ぎ出すことであり、主なる神との深い交わりを必要としたことを知らされます。でもその場にも人々は押し寄せ42「自分たちから離れて行かないようにと、しきりに引き止めた」のでした。

 でも主イエスは43「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。」とこの町を発って行かれました。なお癒しが待たれているにも拘らず、主イエスはなぜ離れて行かれたのでしょうか。

 主イエスは43「神の国」、神の支配の到来を告げる43「福音」の種蒔きをしておられたからです。悪霊や病気の癒しは神の支配の実現、言わばその実りとして与えられたものでした。種はすぐに実りに到らなくてもやがて「三十倍…六十倍…百倍」の喜びに至る力を秘めている、これを仰げと主イエスは繰り返し教えられました(マルコ4章など)。

 カファルナウムの人々にも、そして私たち一人一人にもその種はすでに蒔かれています。その成長は大いなる29「主の計らい」の内に置かれており、喜びの実りへと導かれゆくのだと併せ開いたイザヤ28:23~に告げられています。

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