「主の恵みの年」

ルカによる福音書 4章16~21節
詩編 90編1~12節

 

  ローマ世界において古代から中世まで広く使われた暦は、B.C.45年にローマの執政官ユリウス・カエサルが制定したユリウス暦でした。当時の人はこの暦を用いつつ、ローマ建国年や皇帝即位年などを起点として年を数えていました。がA.D.525年に神学者ディオニュシウスがキリスト降誕を起点とする紀年法を提案、これがキリスト紀元(西暦)となりました。後年、キリスト降誕以後がA.D.(Anno Domini=ラテン語で主の年)、以前はB.C.(Before Christ=キリスト以前)と呼ばれるようになったのです。

 国や元首を暦の起点とするのは、時・歴史への支配権を示すものです。キリスト紀元は時・歴史を人間の支配から解き放ち、主なる神に帰す役割をも持っていました。そしてB.C.は天地創造、A.D.は主の完成へも遥かに接続されたのでした。

 今日開いた詩編90:1~12には神のみが時の主であること、実に 4「一時」に過ぎない私たちの生がでも確かに神の歴史に刻まれ覚えられていることが告げられています。

 ルカによる福音書によると主イエスは宣教開始から間もなく出席された安息日礼拝の場でイザヤ61:1~2を朗読され、大いなる解放と自由の訪れを告げる19「主の恵みの年」が21「今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と宣言されました。その究極的な実現は主の完成の時を待たざるを得ないでしょう。しかしこの世界に来られた主イエスの福音を21「耳にした」ところからそれはすでに始まっているのです。私たちの日々にもそのような主の意思と恵みが刻まれていることを仰ぎ、大切に今を歩む者とされたく願います。

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