「こういうことが三度あり」

使徒言行録 10章9~20節
創世記 8章15~22節

 

 各地の教会を巡り歩いていた(9:32)ペトロが、神を求める異邦人たちと出会った場面です。当時、両者の間には隔ての壁がありました。ユダヤ人は選民思想に立つ律法を持ち、異邦人との交流を避けていたからです(28節)。これを常識のように、教会またキリスト者も受け継いでいました。加えて 1「コルネリウス」は、ユダヤを占領支配するローマ帝国の駐留軍隊長でした。

 この両者に、主が働きかけられました。コルネリウスはペトロを招けと促され(5節)、ペトロは一つの幻を与えられました(11~16節)。それは、旧約以来食べることを禁じられているもの(レビ11章等)を食べよと繰り返す、不思議なものでした。

思えば、ペトロは16「三度」ということに縁のある人物です。主イエスの捕縛に際して三度主を否んで自らの弱さに敗れ(ヨハネ18:15~)、その痛恨の思いを受けとめてくださった復活の主から三度「わたしの羊を飼いなさい」(ヨハネ21:17)と再度の召しを受けて再出発をしたのです。そうしたペトロですから、16「三度」の呼びかけに主の強い意志と指し示しを感じたに違いありません。

 そこには隔ての壁を打ち壊して、福音を世界にもたらすとのみ旨がありました。このみ旨に導かれ励まされ、ペトロ、また教会は(11:20)ユダヤ人と異邦人が共に福音にあずかる新たな時代へと踏み出していったのです。

 洪水の後に主が言われた21「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。」との言葉は、人間の悪を直視しつつ忍耐をもって向き合われる主の深い慈しみを示しています。世界と私たちはそのような繰り返しての憐れみと指し示しを頂いていることを、胸に刻みたく願います。

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