「幸せな者と言うでしょう」

ルカによる福音書 1章26~38節
イザヤ書 7章14節

 

 いわゆる受胎告知に際し、天使ガブリエルは28「おめでとう、恵まれた方」とマリアに呼びかけました。しかし、結婚前に子を宿すことは婚約破棄、さらには石打ち刑に処される危険もありました。主イエス誕生後すぐ老シメオンに「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」(2:35)と言われたように、母マリアは息子イエスのことでたびたび気を揉まされ(2:48、8:19、マルコ3:21等)、ついにはその十字架刑を目の当たりにすることとなったのです(ヨハネ19:25)。いったいどこに30「恵み」はあったのでしょう。

 こうしてみるとマリアが歌っている48「わたしを幸いな者というでしょう」との言葉には、複雑な思いが含まれているように思います。神の選びという介入によって、マリアの人生は大きく動きました。この思いもかけない出来事を、マリアは37「神にできないことは何一つない」その28「主があなたと共におられる」との言葉を頼りにしつつ、受け止めていったのです。

 私たちの歩みにも、時に想定外の出来事が起こります。48「幸い」とはわが身の楽しいことうれしいことを数えることではなく、どんな時にも信頼し得る者と共にその道を歩んでいけることだとマリアの姿は語っているように思います。

コメントは受け付けていません。