教会創立131周年記念礼拝 「良心を手腕に」

テモテへの手紙 一 1章18~19節
エレミヤ書 20章7~9節

 

 当教会は、同志社の分校ともいう形で1886(明治19)年に開校した宮城英学校(のちの東華学校)の教員・学生たちを中心にその翌年創立されました。ここには、自由教育と自治教会によって日本に福音を根づかせようとした新島襄の願いが表れています。

 新島は1888(明治21)年に公にした同志社大学設立の旨意において、“…教育ハ、決して一方に偏したる智育にて達し可き者に非す、…唯た上帝を信し、真理を愛し、人情を敦くする基督教主義の道徳に存する…”と智育と徳育の両方の必要を述べ、 “…良心を手腕に運用する人物を出さんことを勉めたりき” とそれらを結びつける良心の重要性を語っています。

 今日開いた聖書にも19「良心」との語があります。原語には “共に見る” との意味があり、開かれた態度で他者と共に見ること、究極的には神と共に見ることが指し示されています。上記の旨意の後段には、“…立憲政体を百年に維持せんと欲せは、…智識あり、品行あり,自から立ち、自から治むるの人民たらざれば能はず” とあります。今日の状況に対する、130年前の警句として受けとめるべきでしょう。

 エレミヤはB.C.7~6世紀の激動期に、時流に流されず逆境にあっても神の言葉を語り続けた預言者でした。それは 9「主の言葉は…心の中、骨の中に…火のように燃え上が」るからだと、エレミヤ自身が告白しています。

 知識・技術の運用を間違えれば、地球規模の破滅を招きかねない時代に私たちは生きています。神の真実を仰ぎ、良心を手腕に知識・技術そして時代を運用することは今日そして将来のための重要な課題です。

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