「業を成し遂げるために」

ヨハネによる福音書 17章1~8節
創世記 32章23~31節

 

 十字架前日の訣別説教に続いて、主イエスが神と 6「世」の間に立たれ執り成しを願った “大祭司の祈り” の箇所を開きました。

 このヨハネ福音書ではこれまで「時はまだ来ていなかった」(2:4、7:6・30、8:20)と繰り返し語られていましたが、ここで主イエスは 1「父よ、時が来ました」 4「わたしは…業を成し遂げ」ますと祈られたのでした。 4「成し遂げ」との語は十字架上の主の口からも語られており(19:30)、十字架が神の救いの歴史の頂点であることを指し示しています。

 旧約の時代、人は神の栄光を直接見ることは許されず(出33:20)、その名もなかなか明かされることはありませんでした(創32:30)。がここでヨハネ福音書は、今や十字架において神の 1・4・5「栄光」、そして 6「御名」が顕わされようとしていると語ります。主イエスの受肉と十字架にこそ、 6「世」とそこに生きる者を何としてでも救うとの神の意思、その愛が示されているからです。

 やがてこの神の業を 8「知り」 8「信じ」る者が起こされ、希望と13「喜び」が分け与えられていくだろうと告げられています。そして祈り末尾において、ついには21「世」も26「御名」すなわち神の意志を受けとめ、ついには22「一つにな」って平和と喜びを分かち合うようになるとのゴールが指し示されています。神の民は今も生きて働かれる主と共に、神の国を目指す旅路を歩むのです。

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