「祈り得る幸い」

ルカによる福音書 11章1~13節
創世記 4章25~26節

 

 人はいつから祈るようになったのでしょう。創世記4:26は「主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである」と記します。カインの末裔が都市を建設して(17節)交易に文化に技術に豊かになりながらも(20~22節)、自己中心に走り24「復讐」し合う罪に陥っていった時代に、別の系譜の人間が主に祈り始めたのだと言うのです。人は争い傷つけ合うことも祈ることもできる、ここには人間の二面性が示されているように思います。

 主の祈りを教えられた主イエスが続けて語られた譬はよく読むと、いろいろなことを気づかせてくれます。この人は 6「何も出すものがない」ほど貧しい暮らしをしていましたが、大切な 6・8「友達」をたくさんもっていました。またこの人は自らのためではなく、その 6「友達」のために夜中走るのです。そして 5「パンを三つ貸してください」と願い続けた彼が得たのは、 8「必要なもの」でした。

 あなたは親身に労してもよい友人、また窮地に頼り得る友人をもっているかと主は問われています。また祈りはそのままのかたちでは応えられないかもしれないけれども、 9「求め」 9「探し」 9「門をたた」くならば必要は満たされる、と教えられています。旧約時代の人々は26「主の御名」によって祈りましたが、私たちはこの生きる地平へと降り立たれて友となられた主イエスの名によって祈い得る幸いを得ています。

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