クリスマス礼拝 「遠く小さなものに」

マタイによる福音書 2章1~12節
ミカ書 5章1~3節

 

 主イエスの降誕の最初の証人となった者として、ルカによる福音書は羊飼いたちを、マタイによる福音書は 1「占星術の学者たち」を挙げます。聖書において、占いは退けられています(民23:23、申18:10)。み旨は信仰にあって訊ね求めるものであり、人為的なわざによって窺い知り得ないからです。なのに何故、その学者たちがクリスマス物語に現れるのでしょう。

 そのヒントが6節にあります。これはミカ5:1の引用であり、そこにははっきり 1「ベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者」とあります。そのような小さな村が救い主誕生の地に選ばれたことに着目し、マタイ福音書は 6「決していちばん小さいものではない」と書き換えたのです。遠く小さな者に近づかれこれを祝するために神が人となられた、これがクリスマスの出来事だからです。

 最初、学者たちは都 1「エルサレム」の王宮を訪ねたのでした。人の知恵としては、それが自然だったからです。が、そこに救い主はいませんでした。神が遣われた 9「星」に導かれ、彼らは寒村ベツレヘムの貧しい家畜小屋でその方に出会いました。その過程で、彼らは人の思いを超えゆくみ旨・み業を味わったのではないでしょうか。10「学者たちは…喜びにあふれ」11「ひれ伏して幼子を拝」んだのでした。

 伝道者パウロは私たちに向けても「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい」(Ⅰコリント1:26)と人の思いを超えた神の選びについて語り、それは十字架の愛に根ざしていると論じています。遠く小さな者への大いなる慈しみが主イエスの降誕、そして十字架の出来事に顕わされています。

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