「敵味方の論理」

マルコによる福音書 9章38~41節
イザヤ書 2章2~5節

 

 その宣教の業により主イエスの38「名前」が評判となり広まる中で、その働きに追随して働く者も出てきたのでしょう。がヨハネは38「わたしたち」使徒グループに38「従わないので、やめさせよう」としたのでした。しかし主イエスはその狭量さをたしなめて40「逆らわない者は…味方」なのだと教え、41「一杯の水を飲ませ」る友愛を求められました。

 確かに私たちはすぐに敵味方を区別し、その構造の中に閉じこもろうとする愚かさを抱えています。昔は戦でも名乗りを挙げ合うのが作法でした。が、大量の兵器を戦わせる戦争においては、兵士は道具とされていきます。今日は敵を視認する以前に、敵味方識別装置によって攻撃を加える時代となっています。

 新兵は敵を殺す道具として教育され、洗脳されます。アメリカ海兵隊員としてベトナム戦争に従事したA.ネルソンさんも多くのベトナム人兵士・民間人を“敵”として手にかけてきたといいます。が、“なぜあなたたちは私の国にいて、私たちを殺しているのか”と敵兵から問われたこと、そして戦闘中に飛び込んだ壕の中でベトナム人女性の出産に立ち会ったことが、私たちは敵味方である前に人間なのだと思い起こさせたのでした。除隊後PTSDの苦しみを経て、ネルソンさんは自らの体験から戦争の現実を語る活動を続けられ、日本国憲法第九条を世界に広める働きにも関わられました。

 主イエスは自らを憎む者をも罪から解放するために、十字架へと進まれました。主イエスにとってはすべての人が味方だったのです。私たちを対立そして戦いへと誘う罪の支配をこそ敵とし、警戒する者でありたく願います(エフェソ6:12)。

コメントは受け付けていません。