「呼び出された者」

マルコによる福音書 15章21~41節
創世記 12章1~4節

 

 24「シモンというキレネ人」のことは、3福音書に共通して記されています。彼は遠くアフリカからこのエルサレムに来ていて、たまたま十字架刑の行列に出くわしたのでした。そこをローマの兵士につかまえられ、主イエスの十字架の横木を21「無理に」負わされることになったのです。刑場に引かれる主イエスの後に続きながら(ルカ23:26)、シモンは“まったく関係のない俺がなぜこんな目に遭うのだ”と思ったに違いありません。

 なぜ彼のことが深く記憶されているのでしょう。それは“なぜ”と問うても答が与えられない理不尽な出来事に、時に私たちも出会うからではないでしょうか。シモンの姿は、なんともならない出来事に翻弄される小さな私たちのあり様を象徴しているように思います。

 でもシモンの前を行くこの主イエスこそ、まったく関係のない「多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成し」(イザヤ53:12)をするために十字架の死に向かわれていたのでした。シモンは後になって、自らにも及ぶその大いなる恵みを悟ったようです(21節)。

 信仰の父祖アブラハムはそれまで何の関わりもなかった神から突然呼びかけられ、 1「生まれ故郷…を離れて」旅立ちました。これとても全く思いがけないことだったでしょうが、彼が 4「主の言葉に従って旅立った」ところから 3「すべて」の人々に及ぶ救いの物語は始まったのです。

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