「通り過ぎられる主イエス」

マルコによる福音書 6章45~52節
出エジプト記 33章18~23節

 

 五つのパンと二匹の魚とで五千人以上を養われた(30~44節)後、主イエスは弟子たちと別行動をとられました。使徒たちの派遣(7~13節)に続き、やがては彼らだけで宣教しゆく時を見据えて訓練をしているようにも見えます。

 しかし漕ぎ出した舟は48「逆風」に阻まれ、弟子たちは苦闘していました。ご覧になった主イエスは48「湖の上を歩いて」そこにおいでになりつつ、48「そばを通り過ぎようとされた」というのです。一方、弟子たちは主イエスを見誤り幽霊だと恐れたのでした。

 旧約には、主が通り過ぎられたと記された箇所があります(出33:18~、王上19:9~)。モーセ・エリヤがいずれも窮地にあった時、主はすぐそばを通り過ぎることでその臨在を示され、彼らを立ちあがらせたのでした。

 その後、主イエスは50「わたしだ」と弟子たちを励まされました。これは十字架への捕縛において「わたしである」(ヨハネ18:5・6・8)と宣言されたときの言葉と同じであり、さらには主なる神がモーセに「わたしはある」(出3:14)とご自身を顕わされたことに重なります。

 主イエスの昇天の後、自らだけで歩み出した弟子たちは逆境に立たされた時、この出来事を思い出したのではないでしょうか。怖じ惑いそうになるときも主は近くにおられ、御業を顕わしてくださると。この主の臨在に導かれ励まされ、代々の信仰者たちはそれぞれの時代を漕ぎ進んでいったのです。

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