「杖一本のほか何も持たず」

マルコによる福音書 6章6~13節
創世記 32章10~11節

 

 ガリラヤで神の国を宣べ伝えておられた主イエスは、使徒たち 7「十二人」をもその働きに派遣されました。その際 7「旅には杖一本のほか何も持」つなとあることは、マタイ・ルカ福音書の並行箇所で一切持って行ってはいけない(マタイ10:9~、ルカ9:3)と語られていることと較べると示唆的です。

 イスラエルはもともと遊牧民であり、杖は長旅を支え羊たちを守るため欠かせぬ道具でした。今日開いた旧約の箇所でヤコブは自らが辿ってきた旅を振り返り、11「かつてわたしは、一本の杖を頼りにこのヨルダン川を渡りましたが、今は、二組の陣営を持つまでになりました」と神に祈っています。これは、かつて旅に出たときに彼がなした「神が私と共におられ、私が歩むこの旅路を守」ってくださいとの祈り(28:20~)と呼応しています。身一つで家を出、紆余曲折を辿りつつ、家族・財産をも得るに至ったこれまでの神の導き・守りを指して、彼は11「一本の杖」と言ったのです。ヘブライ11:21は、「ヤコブは死に臨んで…杖の先によりかかって神を礼拝し」たとの言葉で、彼の生涯を振り返っています。

 主イエスは、あなたに伴う神の導き・守りにこそ信頼せよと弟子たちを出発させたのではなかったでしょうか。ほとんど何も持たずに旅立てば、行く先々で人々の世話になることになります。使徒たちは神に導かれ伴われつつ他者と出会いを信頼を愛情を結び、神の国の喜びを分かち合いました。そしてこの旅路は、代々の神を仰ぐ者たちによって受け継がれ、今日に至っています。

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