「恵みは砕かれた者に」

イザヤ書 57章14~19節
使徒言行録 3章1~10節

 説教  石川 立 教師 (同志社大学神学部長)

 

 昨日は当教会の母体である東華学校の開校130周年記念日でした。その開校で、東北伝道を目指す新島襄の願いが実現しました。東北は“白河以北一山百文”と揶揄されていました。また、戊辰戦争後、仙台はひどく疲弊していました。その地を新島は同志社英学校の分校の土地として選んだのです。打ち砕かれた弱者に向かう新島の眼差しの根底には、聖書に示されている神の恵みの方向性が反映していました。

 本日の聖書箇所には、聖霊降臨後の最初の奇跡がペトロを通して行われたことが記されています。このとき、生来足が不自由で、人に施しを乞うて生きている人が癒されました。神の恵みは、社会の底辺にいる人に集中しました。この人は癒されて喜び躍り、神の救いの証人となりました。

 “日本でいちばん大切にしたい会社”の一つ日本理化学工業は、障がい者雇用割合7割を誇っています。そこでは、障がい者は生きることや働くことの喜びを教えてくれる大切な存在です。

 戦後、孤児と知的障がい者のために近江学園を創設した糸賀一雄は、知的障がい者の真実な生き方が世の光となり、彼らを助ける我々がかえって、彼らを通して人間の生命の真実に目覚め救われる、と述べています(『この子らを世の光に』)。

 本日のイザヤ書の箇所には、神は打ち砕かれ、へりくだる者に命を得させる、とあります。神から命を与えられた人は、世の光となり希望となります。十字架にかかられたイエスが、打ち砕かれた最たる方であり、かつ、神の恵みの光です。

 私たちの周りに、運命に砕かれた人々、障がい者や弱者がいます。その人々の中に、私たちは恵みの光を認め、生命の真実に目覚めたい。いや、私たち自身が打ち砕かれ、へりくだる者でありたいものです。

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