「ヨナのしるし」

マタイによる福音書 12章38~42節
ヨナ書 1章1~3節

 

 38「しるし」とは、平たく言えば“証拠”です。すでに28「神の霊で」人々を解放しておられた主イエスになお、人々は救い主としての“証拠”を求めたのでした。

 これに対し主イエスは、与えられるのは39「ヨナのしるし」だけだと言われました。それはどういう意味だったでしょう。

 ヨナは旧約の時代、退廃の都ニネベに神の裁きを伝えるべく神から遣わされた人物です。ヨナは大任に尻込みして別の方向に逃げ出そうとしますが、神の手を逃れることはできず、ついにヨナは「三日三晩魚の腹の中で」(ヨナ2:1)過ごすことになったのでした。40「三日三晩」を共通項として、主イエスはご自身の十字架の死と復活を指し示されたのです。救い主の38「しるし」とは、人々の思いとは全く違う形で与えられたのでした。

 魚の腹の中から助け出されたヨナは思いなおしてニネベへと向かい、主の裁きを告げました。すると41「人々は…悔い改め」、主は赦しを与えられました。するとヨナは、一体私の役回りは何なのかと怒ったのです。このヨナに主は一本のとうごまのエピソードを与えて、物語は閉じられます(ヨナ書4:4~)。

 ヨナは逃げ出したり怒ったり、本当に人間臭い人物です。でも主は彼を導き用いられ、彼もまたその度に変えられていくのです。主イエスの十字架と復活は、そのような破れを抱えた私たちに向けられた大いなる赦しと招きの出来事にほかなりません。むしろ、変わろうとしない39「よこしまで神にそむいた時代」の罪が指摘されています。誤ったり失敗しても、私たちは希望と祝福へと再び歩み出すことができます。主の慈愛の内に置かれているからです。

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