「今を計る視点」

ルカによる福音書 12章35~48節
創世記 6章9~22節

 

 今日の箇所で、主イエスは37・43「主人」はいつ帰ってくるのかわからないとの譬を語られた上で、37「目を覚まして」いなさいと言われます。でも人は眠らず、いつも緊張しているわけにはいきません。主は私たちに何を求めておられるのでしょうか。

 ルカ17:26~は悪い時代の例として26「ノアの時代」を挙げ、このとき27「人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた」と記します。飲食や結婚そのものが悪いわけではなく、ただ今のことだけに目と心を奪われていたことが戒められているのでしょう。

 ノアの洪水の物語中、創世記6:12を月本昭男立教大学教授は「神が地を見ると、見よ、それは破壊されていた。すべて肉なるものが、地上において、その道を破壊したからである。」と訳しています。後世に重大な影響を及ぼしかねない核の力を今の繁栄のために用い、地を傷つけた私たちの愚かさがそのまま指摘されているように思います。

 神による歴史の完成を仰ぐことを終末論的信仰といいます。これは、その時を恐れさせるものではなく、むしろ全てを治める神の視点をもって私たちの今を計るのです。私たちは今の時に埋没することなく、この神のまなざしがあることを仰がねばなりません。これが主イエスの言われた37「目を覚まして」いることではないでしょうか。

 箱舟建造を、ノアは木を植えるところから始めたとの伝説があります。22「ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした」との言葉は、神の約束を仰いで、今を生きることの重さ・大切さを告げています。

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