東日本大震災6周年を覚えての礼拝 「祝福があるように」

ルカによる福音書 13章31~35節
申命記 32章10~11節

 

 2011年大震災が起こった2日後に共にまもったのもレント第1主日の礼拝であり、主イエスの受難の使信がより深く響いたことを思い起こします。震災の被害にあっては私たち人間の小ささが、引き起こされた東電福島第一原発事故にあってはその驕りが露わにされました。

 主イエスは受難を予感しつつ、33「わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進」む、32「悪霊を追い出し、病気を癒」す、と言われました。この主が被災地にも生きて進み働かれる姿を仰ぎつつ、私たちはあの時を歩んできたように思います。そしてこの主に連なるように、多くの人が働きを捧げたのでした。そうした中小さな一人が助け起こされているならば、神の国は実現しつつあるのだとの主イエスの言葉(7:22)に励まされました。

 一方、主なる神の大いなる慈しみと育みにもかかわらず(申32:10~)、この世はこれを無視し抗い自滅へと向かおうとするのです(34~35節)。35「主の名によって来られる方に、祝福があるように」との言葉は、受難待ち受ける都エルサレムに主イエスが入場された際の群衆の声でした。世と私たちの罪の赦しと解放のために主が十字架へと進まれたその真実を受けとめ、この言葉が再び聞かれるときに、35「祝福」は広く分かち合われるのだと告げられています。

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