「知られざる神に」

使徒言行録 17章22~34節
申命記 30章11~20節

 

 第二伝道旅行でパウロはパルテノン神殿がありギリシア哲学・学問の中心地アテネを訪れ、多くの16「偶像」さらには23「知られざる神に」と刻まれた不思議な祭壇を目にしました。多くの神々を崇めその守護にあずかろうとしていたアテネ人は、洩らした神の罰があたっては大変とこのような祭壇をつくったのでした。

 ここに願望の写し鏡としての信仰、同時に真の神への渇望を見たパウロは演説を始めました。28節で多くの神々を崇めるギリシア詩人の言葉を引用しつつ、正反対の結論へと進んでいきます。すなわち私たちが生きて今を歩んでいるのは神の大いなる恵みの内に置かれているのに他ならず(25~26節)、私たちが神を知る以前に私たちは神に知られているのであり、しかも私たちも神としっかり視線を合わせることを求めておられる(27節)と語ったのでした。30「悔い改め」とは方向転換することです。神を崇めると言いつつ実は自己中心なあり方から、真の神に生かされている自らを感謝する生き方への転換をパウロは説いたのでした。

 彼が言うように、真の神を見出すことは難しいことではありません。私たち自身がすでにこの神に知られ、その恵みの内に置かれているからです(申30:11~14)。一方、私たちが歩む世には滅びに至る誘惑もあります。真の神と視線を合わせつつ、15「命と幸い」へと至る歩みを選び取りたく願います。

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