「万軍の主の熱意」

コリントの信徒への手紙 一 1章18~25節
イザヤ書 9章1~6節

 

 カトリックほかで旅人の守護聖人とされているクリストフォロス(聖クリストファー)の物語をご存じでしょうか。キリストに仕えることを決意した大男レプロブスは、隠者から人々に仕えることがその道だと教わり、急流の川渡しの奉仕を始めます。あるとき小さな男の子に頼まれ川へと入っていくと、次第に肩の子は重くなりレプロブスは倒れんばかりになりました。やっとのことで渡り切ったところで、その子は自らがキリストだと明かしたのでした。それは担った全世界の罪の重さだったのです。ここからレプロブスは、“キリストを背負った者”との意味のクリストフォロスという名を頂いたのでした。

 B.C.8世紀、預言者イザヤは生まれ来る 5「ひとりの男の子」によって 1「闇」に 1「光」が与えられ 6「平和」が実現すると語りました。しかし、神ご自身 5「みどりご」となって降誕を遂げられるとは、この言葉を預かったイザヤも思いもよらなかったのではないでしょうか。

 天から地へと降られた主イエスは人々に仕える者となられ、さらには十字架の死へと降られたのです(マルコ10:45)。この一見21「愚かな手段」にこそ、何としてでも世と生きる者を救い出すとの神の意志が顕わされていると伝道者パウロは語りました。 6「万軍の主の熱意がこれを成し遂げ」たのです。

クリストフォロス - 幼な子キリストは、世界を現す“宝珠”を手にしています

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