「その道筋をまっすぐにせよ」

イザヤ書 40章3~5節
ルカによる福音書 1章67~80節

 

 G.F.ヘンデル作曲のメサイアは序曲の後、イザヤ40:1~5が歌われます。 3「広い道」が“highway”と歌われているのが印象的です。主が来られてみ業を顕わされる、だから 3「荒れ野に道を備え」「曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らに」(ルカ3:5)せよというのです。

 B.C.6世紀第二イザヤはこう呼びかけ、亡国とバビロン捕囚に打ちひしがれていた人々を慰め力づけました。 2「罪」は償われてついに故国へ帰るのだ、だから顔を上げよと低くされた人々を高めたのでした。

 それから500年余を経て、この言葉はもう一度覚えられることとなりました。この世界に降誕され救いを確立される主イエスに、76「先立っていき、その道を整え」る者として洗礼者ヨハネが立てられたからです。彼の働きは、民族の誇りや財力で高ぶっている思いを砕き悔いて開かれた心を備えることでした(3:3~)。高いものを低くしたのです。

 3「わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ」との言葉を、今日の私たちはどのように聞くべきでしょう。経済や安定ばかりを追及し命や人権を顧みない国や世のあり様、格差の放置、心の荒廃…と、その傲慢さ頑なさを低くせよと告げられているのではないでしょうか。信仰者と教会は主のみ業を指し示すことにおいて、洗礼者ヨハネと同じ働きを託されています。高慢も卑下も、それは主から与えられた命を不当に見誤ったあり様の両面です。野の花・空の鳥を見よとの主イエスの言葉(12:22~)を胸に、私たちもまた語り働いていくべく召されています。

コメントは受け付けていません。