「御旨を求めて」

使徒言行録 15章1~6節
列王記上 3章4~14節

 

 A.D.48~49頃、エルサレムで教会会議が開かれました。エルサレム教会とアンティオキア教会の間で、 1「割礼」さらには律法を守ることがキリスト者の前提となるのかをめぐって 2「激しい意見の対立と論争」が起こったからでした。

 無意味な対立は避けるべきです。が、教会が立ち成長していくために通らねばならない対立もあります。そのような時、古来教会は会議によって道を選び取ってきました(教団教憲第4条)。当たり前に見えつつ、ここには主に結ばれた誰もがみ旨を訊ねる資格と責務があることが指し示されています。私たちは罪というズレを抱えて歩んでいます。毎週の主日礼拝も、皆で形づくる輪の中心に主においで頂き、み旨を求める共同の業だということができます。

 広く知られたソロモン王の知恵は、 9「正しく裁き、善と悪を判断する子ができるよう…聞き分ける心をお与えください」との祈りを主が顧みられたことによるとあります。私たちもこの祈りを共にせねばならないでしょう。

 エルサレム会議は、誰もが主イエスの十字架の大きな恵みによって救われるのであって律法の軛は必要ないことを確認しました(10~11節)。加えてパウロは、エルサレム教会はユダヤ人伝道に向かいアンティオキア教会が異邦人伝道に向かうというパートナーシップが構築されたと報告しています(ガラテヤ2:9)。主の導きによって、会議は実りを得たのでした。

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