「神の国の宴会と地上の宴会」

ルカによる福音書 14章7~24節
申命記 10章12~22節

 

 15「神の国で食事をする人は、なんと幸せなことでしょう」、この言葉を心打たれての賛辞と読むこともできます。が、主イエスはこの場で安息日の治療をめぐって人々とぶつかり(1節~)、客のありさまをたしなめるような形で末席に座ること、貧しく弱い者を招くことを教えられたのでした(7節~)。ですから15節の客の言葉は揶揄で、“なるほど神の国での宴会は素晴らしいもののようですね。でもここは地上なのです。”との意味だったかもしれません。それは、“理想論よりももっと現実的にならなくては”との今日にも聞こえる言葉に似ています。

 これに対して主イエスは16「盛大な宴会」の譬話を通して、せっかくの招きを多くの人々が断るがゆえに神の国の宴会でも貧しく弱い者たちがまず席につくだろうと語られました。このことを通して主イエスは、地上の歪みの代償として神の国があるわけではなく、地上で求められるべきことと神の国で実現することはつながっていることを示されたのでした。

 14「見よ、天とその天の天も、地と地にあるすべてのものも、…神、主のものである」とモーセは語り、貧しく弱い者を愛する主の意思を地にも実現せよと教えました(申命記10:12~)。

 神の国は人間が実現したり獲得できるものではなく、神のみがもたらしうるものです。ですが、神の国と地上とはその方向においてつながっています。理想と現実を分けて論じる過ちに陥ってはなりません。

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