「パン屑さえもいただきます」

マルコによる福音書 7章24~30節

 

 説教  八重樫 芙美恵 伝道師 (会津若松教会)

 

 事はイエス様がティルスという地方に入った時に起こりました(24節)。汚れた霊に取り憑かれた幼い娘を持つ女が、「娘から悪霊を追い出して下さい」とイエス様の所に駆けつけてきました。このシリア・フェニキアの女はギリシャ人・異邦人であり、女性であり、汚れた霊に取り憑かれた娘を抱えているという何重にも苦しみを背負って生きてきました。ところがイエス様は「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って子犬(異邦人)にやってはいけない」(27節)というのです。何と無慈悲ともとられる言葉です。しかし女は一途な信仰で「食卓の下の子犬も、子供のパン屑はいただきます」と決然と言ったのです(28節)。

 ユダヤ社会の慣習の深いところでは、悪霊や病は「その人が呪われている」と信じられ、現代よりもはるかに恐れられ忌み嫌われていました。社会から外れた所でひっそりと生きてきた母娘は、今「生命のパン」をひたすら求め、娘と共に社会の一員として平凡な生活に生きてゆきたいと、切実に一縷の望みで主にすがったのです。

 当時ユダヤ社会では極めて難しかった民族や伝統、しきたりという隔ての中垣(エフェソ2:14)が、一切取り除かれた一瞬です。食卓の下の僅かなパン屑はその女にとっては、「大きな大きな神様の生命の恵み」となり、ささやかな娘との平安な日常生活へと戻っていったのでした。この聖書の箇所は、私の召命が深められた孤児院での子供たちの小さな魂の大きな心の傷のささやきでした。

コメントは受け付けていません。