平和主日礼拝 「希望をもって祈り続けなさい」

創世記 4章19~26節
ルカによる福音書 11章1~13節

 

 先月、ダッカで日本人7人を含む28人が犠牲となった人質テロ事件が起こってしまいました。憲法9条をもち平和的手段で世界に貢献する日本とのかつての評価は、テロに対する空爆攻撃に積極的に賛成し参加する国との見方に変わってきていることを私たちは知らねばなりません。

 創世記4章はカインの末裔が都市を建設し(17節)交易に文化に技術に豊かになる中で(2022節)、攻撃に対して殺戮をも辞さない復讐の連鎖に縛られていったと記します。一方、別の系譜の人間が同じ時代に26「主の御名を呼び始めた」のだといいます。ここには人間の二面性が示されていましょう。人は自己主張の果て憎み殺し合うことも、自らの破れを振り返り祈ることもできるのです。

 1963年ワシントン大行進において“私には夢がある”との演説をしたM.L.キング牧師は、1968年暗殺されるひと月前に“実現せざる夢”との説教をしています。列王記上81719が引用され、夢が実現せず途方に暮れたとしても「あなたは…心掛けてきた。その心掛けは立派である。」その夢は私が実現する、との主の声を私たちは聴くことができると語られています。

 また今日開いたルカ115~を用いて、1957年キング牧師は説教をしています。 5「真夜中」に 5「パンを三つ」求めた男が聞いたのは、 7「面倒をかけないでください。…起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません」との拒絶の声でした。信仰・希望・愛、あるいは社会正義・平和・経済的正義、こうしたパンへの求めは繰り返し置き去りにされてきた、が失望させられてもこの男は戸を叩き続けたのだ、真夜中にも夜明けが来ることを信じて教会は戸を叩き続けねばならない、とキング牧師は語りました。

 祈りは私たちの中で完結するものではなく、主なる神に連なるものです。暗さの中にも、希望をもって祈り続けるべく私たちは召されています。

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