「神の言は繋がれたるにあらず」

使徒言行録 4章1~22節
詩編 147編15~20節

 

 「我はこの福音のために…繋がるるに至れり、されど神の言は繋がれたるにあらず」(文語訳)は、Ⅱテモテ29の言葉です。

 ナチス・ドイツが政権を掌握し“ドイツ的キリスト者”の名のもと教会もまたこれに追随しつつあった1934年、これに抵抗したキリスト者たちは告白教会を形成して教会闘争に向かいました。その第1回会議で採択されたバルメン宣言はその第6項でこの箇所を挙げ、教会の自由はキリストご自身の支配と委託にあり、主のみ言葉・み業を人間的な願望や計画に奉仕させることができるとの誤りを退けると述べています。

 聖霊によって力満たされ宣教へと派遣されていったペトロ・ヨハネは神殿で捕らえられ、主イエスと同じように(ルカ2266)ユダヤ最高法院で裁かれました。当局者たちは 7「お前たちは何の権威によって…ああいうことをしたのか」と詰問しましたが、二人の自由で13「大胆な態度」の前に結局は17・21「脅」すことしかできず、その 7「権威」は色あせていったのでした。

 神の言葉、すなわちその意志と業を繋ぎ止めようとの企ては、ついには破れていきます。Ⅱテモテ213にある「わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる」とは、当時の洗礼式で用いられた式文の一部と考えられます。世の愚かさをご存じの上でこれに近づき命へと導かれるキリストの支配こそが私たちを自由にし、方向を指し示し、課題の中をも進み行かせるのです。

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