「遣わされた働きの始まり」

使徒言行録 3章1~10節
イザヤ書 61章1~4節

 

 この日 1「ペトロとヨハネが…神殿に上って行った」というのは、驚くべきことです。何故なら 1「神殿」は主イエスを十字架につけていったユダヤ教当局者の本拠地であり、このときは十字架からまだ間もない頃だからです。主イエスが告げられたように(18)、彼らは生ける神の働きかけ 2:4「聖霊」によって新たな力に満たされ世の只中へと派遣されていったのでした。

 境内で二人は、足が不自由で 2「毎日…門のそばに置いてもらっていた」男に出会います。35節には、二人と男の視線が徐々にしっかり結ばれていった様子が描かれています。この間、男は何がもらえるのだろうと思っていた(5節)一方、二人はかつて主イエスが幾人もを癒し立ち上がらせたことを思い起こしていたのではないでしょうか。ペトロが 6「…イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と呼びかけると、男はたちまち立ち上がり自らの足で歩み出したのでした。

 1「…主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして、貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。…」、かつて宣教の業に歩みだされた主イエスに与えられたこの預言(ルカ416~)が、このとき従う弟子たちに受け継がれたのです。

 この 1「神の霊」による大いなる支えと派遣は、今を歩む教会と私たちにも及んでいます。ペトロとヨハネのまなざしが神のわざを必要としている課題をしっかりと捉え、その視線が交わったところに神の国の恵みが現れたとこの箇所は告げます。今の世に派遣されている教会と私たちが、何をどのように見ようとするのかが問われているように思います。

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