「神の笑い、人の笑い」

ヨナ書 1章1~3節
マタイによる福音書 14章25~31節

 

 2「ニネベ」はB.C.7世紀半ばまで数百年にわたってイスラエルを侵略し、ついには北王国を滅ぼしたアッシリア帝国の首都です。ですからこれに悔い改めを語れという主からの任務は、理解しがたいものでした。ヨナがこれを拒否して反対方向の 3「タルシシュ」に向かおうとしたのもわかります。

 しかし 3「主から逃れ」ることはできません。主が備えられた嵐の中でヨナは自分のしたことを白状させられ、海に投げ込まれます。11「わたし…を…海にほうり込むがよい」とは、観念の言葉とも最後の自己主張の言葉とも受け取れます。いずれにしてもヨナは、もはや死しか出口を見いだせなくなったのでした。

 ところがそのヨナに、主は驚くべき道を用意されました。 2:1「巨大な魚」に呑み込ませ、 2:1「三日三晩」の後、ヨナを出発点に立ち戻らせたのです。こうして彼はもう一度、与えられた使命を受けとめるチャンスを与えられました。

 直情的に行動するヨナを、しかし主は捨てることなく 4「大風」、異邦人(5節)、 2:1「巨大な魚」まで動員して導こうとされました。 2:1「魚の腹の中」でヨナはこのことに気づかされ、新たにされたのです。

 ヨナ書には主の笑いが感じられます。それは冷笑や嘲笑ではなく、小さな者を包む微笑みです。アブラハムとサラが言ったように(創216)、主はその笑いをもって私たちをも笑みへと導いてくださいます。

 このことは34章でも繰り返されます。主の大いなる笑いの中で、私たちはくり返し気づかされ、新たにされ、立ち戻らされていくのでしょう。

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