イースター礼拝 「キリストの復活にあずかって」

フィリピの信徒への手紙 3章7~21節
創世記 4章8~16節

 

 “主はよみがえった” 、これが教会最初の信仰告白であり、ここからキリスト教の歴史は始まりました。が、主イエスが死を打ち破って復活されたことは、私たちの生にどのように関わるのでしょう。

 伝道者パウロは、 8「主キリスト・イエスを知る」ことで自らの価値観・姿勢・生き方が根本的に変わったと述べています。そしてこの 8「知る」とは、キリストを体験し経験しているということです。その内容が続けて語られています。

 パウロはまず、自らを今 9「キリストの内に」見出していると言います。かつてひたすら独力で生き行くことを求めていた彼は(56節)、神の恵みとキリストの救いに生かされる生き方に出会ったのでした(ガラテヤ11316)。

 私を生かすキリストは十字架の死を引き受け復活の勝利をとられた、だから私も10「その復活の力…を知り、その苦しみにあずか」りたい、と語ります。10「あずか」るの原語はコイノニア、交わり・分かち合いです(157)。キリストに生かされる者は、主の復活の命と十字架の愛を分かち合う者とされるのです。

 順番としては十字架があり、復活が起こりました。しかし弟子たちは逃げ去り、主の十字架を分かち合う者はいなかったのです。私たちは近づかれる復活の主に出会って、その後に十字架を分かち合うべく導かれるのだと思います。

 創造物語は、人に入りこんだ罪は他者を損なわせ、人を12・13「さすらう者」すなわち寄る辺のない分断の状況へと追いやったと語ります。この悲惨から世と私たちを救うために、主は十字架へと進み、復活を遂げられました。そして私たちを再び神に、そして隣人に結び合わせてくださるのです。

コメントは受け付けていません。