「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」

ヨハネによる福音書 19章16~27節
イザヤ書 52章4~6節

 

 主イエスの受難を描いた絵画や彫刻において、十字架の上に“INRI”と書かれているのを見ることがあります。これは19「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」を意味するラテン語 “IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM” の頭文字です。

 ヨハネ福音書によると、この罪状書きは主イエスを裁いた総督19「ピラト」が掲げさせたものでした。ついに主イエスを十字架刑へと追いやった21「祭司長たち」はこれを嫌がってそう自称したと書き換えよと迫りましたが、ピラトは取り合おうとはしませんでした。この間、主イエスは23「服」23「下着」まではぎ取られ、辱めと嘲りのうちに死へ向かわれたのでした

 罪状書きは万民が読めるよう20「ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語」で書かれていたとあります。この苦しみと死を我が身に負われて、主イエスはこのとき全世界の真の王となられたと、この福音書は告げているのです。

 「わたしは命のパンである」(648)をはじめ “わたしは~である” とよく語ってこられた(81210911146等)主イエスは、捕縛に際し「わたしである」(18568)と繰り返し宣言されて十字架へと踏み出されたのでした。これは主なる神が「わたしはある」(出314)との言葉で自らを顕わされたことに重なります。

 J.S.バッハのヨハネ受難曲において、22「書いたままにしておけ」とのピラトの言葉に続き、讃美歌571“いつわりの世に”の第3節が歌われます。自ら受難へと進まれその命をも分け与えられた主の十字架にこそ、私たちが仰ぐべき神のご人格・その名が指し示されています。

コメントは受け付けていません。