東日本大震災5周年を覚えての礼拝 「希望と生きる力」

エズラ記 9章6~15節
マタイによる福音書 11章2~19節

 

 バビロン捕囚解放後の神の民再建に力を注いだ指導者エズラが民の罪に直面し、自らもその咎を負いつつ主に祈った言葉を、東日本大震災発生5年目を数える今共にしました。時代も内容も全く異なるにも拘らず、今の時代と私たちに重なるものを感じるのです。

 6「わたしたちの罪悪は積み重なって身の丈を越え」、招き寄せた憂いは 7「今日、御覧のとおりです」と告白されています。大震災は自然災害でしたが、何が起こってもコントロールできるとその力を過信した私たちの社会は原子力発電所事故という巨大な人災を生んでしまいました。福島ではなお帰還の目処も立たない状況下にあって、原発を再稼働させ輸出すら計画する私たちの社会は経済・利潤の 9「奴隷にされて」いるのではないでしょうか。

 その13「悪事…罪科…艱難」の大きさを自覚しつつ、エズラは一筋の希望を仰ぎました。それは主がその 8「聖」を、私たちの 8「よりどころ」とさせてくださったことでした(イザヤ638)。これこそが希望を生み、大きな課題の中にも今日の一歩を踏み出させる力となると祈られています(8節)。

 悩み満ちるこの世界に主イエスがおいでくださり、ご自身の十字架を据えられたことこそ、与えられた最大の 8「よりどころ」です。主イエスはその救いの業を、小さな一人一人を神の国に結び合わせる働きから始められました。まだ 3「待たなければなりませんか」と訊ねられた時、困難な中にも小さな一人が助け起こされているならば、神の国の救いはすでに訪れているのだと主イエスは答えられました(5節)。希望と生きる力を日々分け与えられ、主が進められるその働きに連なる者とされたく願います。

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