「一同は山を降りて」

マルコによる福音書 9章2~13節
出エジプト記 34章29~35節

 

 3「どんなさらし職人の腕も及ばぬほど白く」とは、面白い表現だと思います。主イエスは粗末な衣服を着続け、それは汚れていた筈です。それがそれほどまばゆく輝いたのですから、この山上へと連れられた 1「ペトロ、ヤコブ、ヨハネ」の驚きの大きさが感じられます。

 その白さ・まばゆさとは、歴史の完成時にすべてを照らし出す神の栄光を表していましょう(黙114~、225)。旧約の預言を代表する 4「エリヤ」、律法を代表する 4「モーセ」も現れて語り合ったのも、神の大いなるご計画のために主イエスが来られたことを示しています。

 この素晴らしい光景を記念する 5「仮小屋」を建てようとペトロは進言しましたが、それは聞き入れられませんでした。気づくとまばゆい光景はもはやなく、主イエスが元の姿で立っておられたのです。

 9「一同が山を下り」との変哲もない記述に、実は大切なメッセージが込められています。この箇所の前後に予告されているように(831~、930~)、主イエスはいよいよ十字架へと進んで行かれます。それこそが、世界と歴史を栄光へと導くために主イエスに与えられた使命であったからです。

 Ⅱペトロ1:16~ではこの山上の出来事が振り返られ、19「夜が明け、明けの明星が…昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください」と語られています。山を下りた弟子たちは、早速悪霊との戦いに悩むこととなりました(18・28節)。私たちも世の暗さに行き悩むのです。が、そこにはともし火が与えられています。世と私たちのために山を下り十字架へと歩まれた主イエスを見つめる者、 7「これに聞」く者は、やがてもたらされる栄光を仰ぐとの指し示しがここにあります。

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