「荒れ野の旅を思い起こしなさい」

申命記 8章2~18節
マタイによる福音書 4章1~4節

 

 主イエスは神の国を宣べ伝える働きに入る前に、 1「荒れ野」で 2「四十日間…断食」され 1「悪魔」の試みにあわれました。第一の試みを 4「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」と今日開いた申命記の言葉で退けられたように、主イエスは出エジプトの民が約束の地に入るまでに40年の荒れ野の旅を経験したことを覚えてご自身断食に向かわれたのでした。

 約束の地を目前に、モーセは 2「主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい」と語りかけました。この旅は定住する場をもたない苛酷なものであって、民はたびたび不平を洩らし(出1524162、民142等)、指導者モーセも時に苛立ち誤ったのです(民2012)。しかし主はこの民に同行し、不思議な食べ物 3「マナ」を備え、その旅路を守られたのでした(4節)。一方、2・3・16「苦し」みも主が与えられたものであったと述べられています。親が成長しゆく子の16「幸福」を願えばこそ時に厳しく対するように、荒れ野の試練もまた民に必要なことであったからです。私たちに向けられたそうした主の意志、 3「主の口から出るすべての言葉」によってこそ私たちの生が基礎づけられ、導かれることを胸に刻みたく思います。

 主の宣教の業は豊かさ・奇跡・権力の試みを退けられたがゆえに、すべてを注ぎ出す十字架へとその最初から向かっていました。主の言葉・意志は教え導くだけではなく、私たちを養い生かすのです。

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