「なぜ泣いているのか」

ヨハネによる福音書 20章11~18節
エジプト記 12章37~42節

 

 1「マグダラのマリア」はガリラヤで主イエスに「七つの悪霊を追い出して」(ルカ82)頂いて以来、ずっと主イエスに同行し従ってきました(1925等)。が、その主イエスは十字架上で殺されてしまったのです。男の弟子たちが10「帰って」いった後も、マリアは諦めきれず11「墓」を見つめて泣き続けていました。

 そのマリアに、繰り返し語りかける声がありました。13・15「なぜ泣いているのか」とは理由を問うているのではなく、もう泣かなくとも良いのだとの語りかけです。復活の主イエスが背後に立たれたからです。でもそのことに目を開かれるためには、墓という過去の方向から向き直る必要がありました。主イエスの語りかけによって、マリアは徐々に14・16「振り向」いていったのでした。17「すがりつくのはよしなさい」との言葉には、復活の主が生きた働きへと向かわれること、そしてマリアも新たな出発へと向かうべきことが指し示されていましょう。

 イスラエルの民が長い奴隷生活からついに出エジプトを果たした際の記述に、37「ラメセスからスコトに向けて出発した」とあります。ファラオの名を冠した37「ラメセス」はイスラエル人の抑留地の名であり、37「スコト」は地名ですが興味深いことにその後民が40年にわたって経験した“仮庵”(テント)という意味です(創33:17)。出エジプトという救いの出来事は、定住の奴隷生活から約束の地目指した旅路に出ることでした。そしてその旅路を主は42「寝ずの番」、すなわちその大いなるまなざしをもって見守られたのです。

 私たちもそれぞれに与えられた旅路を、主イエスのみ守りと同行のもとしっかり踏みしめ進み行くことが求められています。

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