「信じて祈る」

ルカによる福音書 18章1~8節
列王記上 20章1~7節

 

 裁判官とは、争いごとに白黒をつける大きな力をもった存在です。なのにその裁判官が2「神を畏れず人を人とも思わない」とんでもない奴だったらどうするか、主イエスはそういう思いがけないたとえ話をされました。答は 1「気を落とさず」 5「ひっきりなしに」求め続けるしかない、そうすればこの悪しき者から正しい裁きが出てくるかもしれない、というものでした。

 この 2「神を畏れず人を人とも思わない裁判官」とは、おそらく私たちが生きる世界のことを指しています。いつの時代もこの世界には、とんでもない罪の力が跋扈しているからです。そうした世界に風穴を開け得るのは、信じて求め続ける祈りとこれを聞き届けられる神のわざだと主は教えられたのです。

 B.C.701大国 アッシリアの軍勢が南王国ユダの都エルサレムを包囲するさ中、ヒゼキヤ王は病で寿命が満ちることを主から告げられました。“主よ、なぜこの時なのですか”と、彼が 2「顔を壁に向けて」 3「涙を流して大いに泣いた」時、主はその 5「祈りを聞き、涙を見」てみ旨を変えられ、さらに15年の命を与えられたのでした。ここには、主のみ旨の厳しさと憐れみの両方が記されています。神学者K.バルトは、“今日は人間の混乱と神の摂理によって”とのスイスの諺をしばしば引用して語りました。私たちが生きる今日の世界も神の憐れみによって支えられていることに思いを馳せ、あきらめることなく歩みたい、そう願います。

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