「御名を現しました」

ヨハネによる福音書 17章1~11節
出エジプト記 3章13~14節

 

 “大工と鬼六” “ルンペルシュティルツヒェン” など、名前を言い当てると悪鬼は退散するとの昔話は世界中にあります。名前とは、人格を表すものだからです。震災後の今をテーマとした今年の地区信徒交流会で発題された当教会員C姉は、ハリーポッターシリーズの中で人々が恐ろしさのため口にしなくなった闇の魔法使いのその名を主人公がはっきりと呼んで倒していったことに触れ、得体の知れない力で迫る放射能のその名をはっきり口にして立ち向かいたいと語られました。

 旧約の時代、神の名はなかなか明かされることはありませんでした(創3230等)。召命を受けたモーセがその名を求めた時、神は14「わたしはある。私はあるという者だ。」と謎めいた仕方でご自身を呼ばれたのでした。これは誰よりも先にある者、あるいはすべてを創造しあらしめる者といった意味であると考えられます。

 訣別説教に続く“大祭司の祈り”において、主イエスは 6「わたしは御名を現しました」と祈られました。14「わたしはある」と宣言される方が人となり十字架へと降られた主イエス・キリストにおいて、神のご人格は世に明かされたのです。ゆえに 3「永遠の命とは、…まことの神とイエス・キリストを知ることです」と告げられています。

 本日は “平和” をテーマにコイノニア会(修養会)が開かれます。聖書の告げる “平和(シャローム)” とは、神の大いなる祝福に満ちた豊かなあり様のことです。これを仰ぎ、この祝福を破る戦争に抗して今を歩みましょう。

コメントは受け付けていません。