「主イエスの名によって立ち向かう」

ヨハネによる福音書 16章25~33節
サムエル記上 17章41~47節

 

 少年ダビデは45「主の名によって」、巨人ゴリアトに立ち向かいました。45「主の名」は神の意思を表わします。ダビデの力の源泉は、小さい者を守られる36「生ける神」への信頼でした。

 私たちは“主イエス・キリストの御名によって”祈ります。それは、主イエスが代わって祈りを届けてくれるということではありません(26節)。主イエスの十字架の犠牲によって人と神との和解が成り、神を「アッバ、父よ」(ローマ815)と呼ぶことができるようになったからです。祈りは、愛する子である主イエスと私たちの言わば連名で父なる神のもとに届くのだ、と教えられています(27節)。

 主イエスのみ旨がこの世に成り、神の意志と人の祈りが一つとされるのは神が約束された完成の時です。それまで私たちは33「世」にあって、課題や33「苦難」をも経験します。主イエスが表された32「しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださる」との信頼は、私たちにも分け与えられています。課題・33「苦難」が残っても、主イエスは十字架の愛をもって33「既に世に勝」たれたのです。私たちはこの神の意志、主イエスの名によって完成のその時を仰ぎつつ、今を歩みます。

コメントは受け付けていません。